美しいものだけを見ていたい。

ヲタク只今充電中!

たった10年されど29歳。〜手越祐也生誕祭〜

19になるころの手越祐也が好きになり、19になったころにいわゆる『ファン』になった。
今日、11月11日手越祐也は29歳になる。
その年月はたった10年だ。この10年の自分を考えるとなにも変わっていないように思う。それでいて、この10年のNEWSを思うと随分様変わりしたな。なんて笑えるようになった。

さて、たった10年と言ったがその間に私も手越も歳を取るわけで…。20代を目前としていた青年は、30代を迎えようとする大人になった。19の手越を思い出す。なにかが変わった年なのは確かだ。初々しさを残しながら、今までの芋さが消え、垢抜け出した頃。歌が正当に評価され始めた頃。今の『手越祐也』に繋がるイッテQでまだ王子だった頃。あ、そういえば手越のキャッチコピーとして『悪気のない自己中』なんてのもあったっけ。そのすべては色を変え、ときには形さえ別のものになりながら今に確かに繋がっている。色も形も複雑になった。複雑にしたのは、手越の立ち位置と彼がもがいた10年だ。

あぁ、センターなのか。エースなのか。

あの日、あのとき、私が手越祐也を見てそう思うことはなかった。そして、そう感じることなんて一生ないと信じていた。自分が俯瞰的に手越祐也を見る日が来るなんて思ってもみなかった。そして感じる。私はどれだけ手越に上から目線だったのだろう。今思えばなにも関係ない人だ。でも、あのとき手越は私のすべてだった。そう信じていた。

1987.11.11
手越祐也が生まれた奇跡に感謝しよう。
そうそれはあの頃と同じように。

工藤遥礼賛


私が好きになったのは15になったか、16になろうとしたかそんな頃の工藤遥さんで、危うげな1年を愛して、今、わかったことは一つだけ。私はあの頃よりももっと工藤遥を好きになったっていうこと。

2016.10.27
工藤遥さんお誕生日おめでとうございます。

なんて漠然と言っているけれどモーニング娘。'16の工藤遥さんのお誕生日を祝えるのはこのたった1日しかなくて、つまり、16歳から17歳へなろうとしている工藤遥さんを祝えるのも今日しかないわけで、そう思うと今日という1日は突然特別な日に変わるわけです。

そんな日にあなたはまた言うのかもしれない。
「みなさんからの愛」
工藤遥さんは愛に満ち溢れた人だと思う。御家族からの愛。友達からの愛。メンバーからの愛。先輩後輩からの愛。スタッフさんからの愛。ファンからの愛。
なのに、彼女はその愛を当たり前と思わない。だからなのか、彼女はいつだって清らかなままの顔で笑う。その無邪気な笑顔と、度々発せられる愛への感謝をわたしは美しいと思った。

工藤遥さんは心地よい。声を聞いていると暖かくなるし、行動を見ていると微笑ましくなる。それは彼女が愛された環境の中で毎日を過ごしているからだろう。

工藤遥さんは激しい。不安定な状態を安定的に持っている。パフォーマンスは繊細だが、激しい。それは彼女への恒久へと思える愛を永遠に感じず、ただただもっと。と愛を求めるからだろう。

工藤遥』という見事な造形と不確かな愛と齢16にすれば濃い人生となにより美しいほどまで清らかな内面を私の浅はかな言葉で表すには到底不可能で、つまり、それほどまでに工藤遥は美しい。

美しいとは狂気のもとになりたつ凶器だ。工藤遥の狂気は工藤遥に向けられる狂おしいほどの愛と、工藤遥自身が工藤遥に向ける狂おしいほどの欲望なのではないか。凶器はいつも武器になる。

工藤遥はたった1人しかいない。17の工藤遥はこれから365日しかいない。それが美しいのではなく。この世でたった1人美しいものは17の工藤遥であるということだ。

狂おしいほどに愛してしまっているではないか。

工藤遥さんに言いたい気分だが、私はその現状に満足しているので、工藤遥さんに今日、言いたいことはお誕生日おめでとうございます。あなたの未来が輝きますように。ということのみだ。


2016.10.27

工藤遥好きな役ランキングBEST5!

工藤遥さんが演じた役柄すべてから好きなものBEST5をあげます。*1
今回の記事作成にあたり、簡易のソートを作成しました。ソート作成ツール

5位 寒竹藤子 <1974>

工藤遥さんの演じるなにものにでもなれる役が好きだ。彼女自身がなにものにでもなれる力を持っているような気がするからだろうか。それとも、彼女がなにものにもなれないことに私が気づいてしまったからだろうか。舞台を飛び回る姿は妖精のようで、はたまた『天使』のようで、そして、何より悪魔だ。物語を動かす起爆剤になった彼女は、リツコに一生報われない恋をさせてしまった。最後まで続くストーリーの根本にあるのは、藤子が放った「ついていい嘘もあるのではないでしょうか。」という一言。そして、このセリフを早口ながら間延びして言う。このころの工藤遥さんの台詞回しは驚くほどに早い。だから、この間延びが効果的に作用する。

4位 ファルス

きっと、彼女の人生を変えた作品なのだと思う。それほどまでに辛い役。辛さしかない役。エネルギー0を私に見せてくれたアイドルは初めてだった。そして、それを記録していてくれたことにも感謝している。『ラスボス』という表現が正しいのかはわからないが、ファルスの役回りはそれに値する。幕が降りる。最初を思い出す。あぁ、この不穏な空気はファルスがなぜか出していたラスボス感から出ていたのかと感じる。チャラ男で、病弱なのにそれが美しい。美しいとは危険なことだ。その恐ろしさを口にせずとも語っていた。これこそ、彼女の演技力が評価されるときに使われる『演技の説得力』がなす技。
その技に恋した人は私だけではないはずだ。

3位 ドリュー <ステーシーズー少女再殺歌劇ー>

なにものにもなれない役なら、忘れていけないのはドリューだ。あるがままを受け入れる少女を悲しいと思った。工藤遥さんはなにものにもなれない役が多い。しかし、その中でそれを受け入れた役柄は珍しいだろう。ドリューに爽快さを覚えた。こんなにドロドロしている演劇なのに、彼女がメインの幕もまた暗く悲しいストーリーなのに、ドリューの爆発性がそれを忘れさせる。早口でおべんちゃらを立てる姿には、スカッとした爽やかささえ感じる。だから、失恋の演技の対比が悲しい。表情の演技が光る。あるがままに受け入れているドリューに、あるがままでなくてもいいのにと涙が零れた。

2位 フロル <続・11人いる〜東の地平・西の永遠>

工藤遥さんが久しぶりに演じた女の子は女の子ではなかった。それこそ男でも女でも何者でもなれる。そんな性未分化のフロルを演じる工藤遥を生で見た。初めて生で見た工藤遥工藤遥ではなく、フロルだった。生のパワーとはいかほどか。と今、思う。
そして、演劇女子部が男を演じてきた工藤遥を数少ない女性の姿として舞台上に立たせた。それこそ禁忌。甘い蜜。フロルは不安定だ。そして、だからなにものにでもなれる。それは工藤遥そのものみたいだ。しかし、違う。工藤遥そのものでいいはずなのに、彼女は工藤遥で演技することを拒んだのだろうか。
フロルを見て工藤遥の演技への欲深さを改めて感じた。

1位 リオン<ごがくゆう>

転機となったファルスと、爆発力を持ったドリューに隠されたリオンこそが工藤遥らしさという意味での演技の真骨頂ではないかと思う。
リオンですっ!と独白するときが彼女の不明瞭な声の魅力を一番引き出せていたんではないか。そうとさえ思う。ミュージカルではない。ストレートプレイだからこそ出てくる彼女の紡ぐ言葉の美しさ。そこに魅了された。
彼女の作る音節を愛した。
その音色は心地よくはない。だから、美しい。美しいものは実に複雑なのだ。
そんなことを改めて実感させてくれた。

*1:数学女子学園を除く

WaTへの諦めというか、未来への展望というか


WaTに会ったことはなくて
WaTの小池徹平にももちろん会ったことはなくて
私が好きになったのはWaTなのに
私がみた小池徹平はいつも舞台の上で、演劇の世界に生きています。
だからこそWaTへの諦めがつかなかった。
1度でいいからWaTが見たい。そんなふうに思っていました。解散する意味もこれからもわからなくてただただどうしてと思う日々。でも今はなんとなく仕方ないな。と思うことができる。WaTがWaTを続けられなかった理由はWaTを歌えなくなったからじゃないか。と思えるようになったんです。

不安定さこそWaTの魅力?

WaTが歌えない。それは、あの19歳。20歳前半の可愛らしさを出せない。ということだと思っていた。そして、WaTの魅力の本質こそそこにある。とも考えていたのだ。しかし、今、思い返すと違う。
彼らにはいつだって不安定さとそこから生じるズレが共存していた。WaTの歌詞にはなぜか古臭さがある。しかし、2人はそんな古臭さを微塵も感じない爽やかな青年。背景にはきっとストリート時代に歌ってきたいわゆる懐メロたちへの影響があって、でも、彼らの思考は紛れもなく若者のもの。そんなズレ。
バラエティタレントと俳優がアイドルではなくシンガーソングライターとして歌う。そんなズレ。
そして、なにより歌唱という意味での不安定さ。不器用なくらい真っ直ぐで癖も少なく、テクニックを使わない。そんなハーモニーから出てくる不安定で、なのに心地よい歌唱。それこそがWaTの最大の魅力だったのだろう。

WaTデビューから10年。
かつてのバラエティタレントはMCもできて、舞台にも立つマルチタレントに成長した。
かつてのイケメン俳優はNHKドラマから東宝ミュージカルまで出演する実力派俳優に成長した。

歌もしゃべりもダンスだってうまくなった彼らは、ずっしりと構えステージに立つようになった。安定感こそ今の彼らの魅力だ。

不安定でなくなった彼らは個性を得た。

歌に癖を持ち、テクニックを使い、しかし真っ直ぐさも忘れない。彼らの解散前最後のパフォーマンスを見る度に思う。WaTはもうWaTでいなくていいんだ。と。

WaT2人での未来への展望よりも
ウエンツ瑛士として
小池徹平としての未来のほうがきっと美しく輝かしいものなのだろう。だから、もう1度見たいとは思わない。といえば嘘になるけれど今はいい。いつか。2人で立つ舞台を見たいと思うけれどそこにWaTという名前がなくてもいい。


ただそれだけ。

あなたを知り、あなたを知りたいと思い1年という年月が過ぎようとしています

毎年夏の終わりを告げ、秋の始まりを感じさせる風物詩となりようとしているのは、ミュージックステーション10時間スペシャル。きっと今、日本で1番影響力の高い音楽番組はいわゆる夏の音楽特番にぬるりと仲間入りした。
そして、そこで私は彼女を知った。




披露した楽曲は昨年と同じ。LOVEマシーン。1999年と書かれているが、のちにアレンジしなおしたupdatedバージョンである。2015年。私はなにげなくそれを見ていたのだ。いや、少しだけ注目をしていたのかもしれない。私がハロー!プロジェクトを好きになったのは、それこそ℃-uteのMステ出演だから同じハロー!プロジェクトのグループとしてモーニング娘。'15を見ていた。

そこで見つけたのが

『黒髪ショートのかわいい子』

なわけである。


不安定な安定さを持つ彼女の魅力に取り憑かれ、もうすぐ1年。1年。早かった。そして短かった。

あの日、あなたを知りたいと思い、あなたを知り、知っていき、そんな1年。私は悪くなかったと思う。いや、むしろ幸せだった。

無垢な黒髪の少年が金髪の青年になったとき、そこに広がっていたのは……

2003年。
手越祐也は衣装に着られ、9人という大所帯の端にいた。
ソロパートやMVのソロカットが極端に少ない彼が信じたのは自身の歌唱力のみだった。

さて、13年が経ち。
NEWSが4人になっていると誰が予想しただろうか。
さて、13年が経ち
その真ん中に手越祐也がいると誰が予測しただろうか。

あの日NEWSを見ていた人たち。誰ひとりも考えなかっただろう未来が今、広がっている。おしゃれイズムでイッテQに感謝している手越祐也を見て私は素直に武器が増えたなと感じた。全てをキャラにできるその自由さを作ったのはきっとイッテQと手越祐也自身だ。

そしてしゃべくり007でその手越の自由さに嘆きながら、NEWSにいてくれと願う3人を見て、涙が出そうになった。あんなに面白いシーンなはずなのに私は心が溢れそうで堪らなかったのだ。

2003年。
あの日、きっと1番NEWSに必要でなかったひとりの少年は今、NEWSに必要不可欠な青年になった。NEWSを構成する大切なピースとなり得た手越祐也は、今、何を見ているのだろう。

東京ドームでまた会おう。〜10ks〜

KAT-TUNの充電期間前最後のライブ『10ks』のDVDが発売され、ようやく見ることが出来ました!


まぁネタバレ含むんで、購入してくださいって話です!





2016.5.1
涙で溢れた東京ドームに私はいた。
笑っていて欲しいと言う上田竜也の言葉に泣いた。そうあの日は『最後』ということが先行してKAT-TUNのコンサートを存分に楽しめてなかったような気がする。叫んだしこれまで行ったコンサートで確実に一番楽しいコンサートだったんだけれど、脳裏にはいつもこれで出し切らなければという思いがあった。

KAT-TUNのコンサートの醍醐味である演出や、衣装などを充分に体感できなかったのが心残りであった。

そんなKAT-TUNの10ksを改めて感じる。そこにあったのは圧倒的な経験値とパフォーマンス力と気迫だった。

デビューから10年。彼らはメインキャストとして東京ドームに立ち続けた。東京ドームが一番似合うグループであり、ホームが東京ドームといえるグループ。それがKAT-TUNだった。彼らは東京ドームの使い方を知っている。どう使えば5万5千人を虜にできるかを知っている。その絶大な信頼感を裏付けるのはただひとつ。経験値だ。彼らがドームに立ち続け、5万5千人を魅了したという事実。それだけだった。

KAT-TUNのコンサートは楽しい。それが大半のジャニヲタの総意だ。パフォーマンス力。KAT-TUNの各々の魅力。特効の使い方。コンサートの、東京ドームの上でそれはすべてKAT-TUNの味方する。それは当たり前なんだけれど、作り込まれたその世界を見る度に虜になるたびになぜか良かった。と感じる。KAT-TUNは異端なグループ。そこが一番の魅力でもある。それゆえにKAT-TUNは安定しない。そしてまたそれが魅力になる。そんなKAT-TUNが空間すべてを味方にした瞬間が好きだ。たまらない。愛おしい。美しい。

いつだってそう思っていたのだが、今回は一味違った。KAT-TUNの気迫はあの日、ひしひしと感じていた。KAT-TUNファンの気迫も体感した。けれど、あの日本気だったのはKAT-TUNKAT-TUNファンだけではなかった。DVDの撮り方。そこに気迫を感じる。まさしくあの日あそこにいた全ての人のベストアクト。




だからもう1度みたい。
彼らの東京ドームをもう1度見たい。


KAT-TUNだから言える。
いつになるかはわからない。
けれど、いつか戦い抜いた3人の強いKAT-TUNと会おう。



ー再会は東京ドームで。