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美しいものだけを見ていたい。

ヲタク只今充電中!

好きよ好きよも嫌いのうち〜#私のジャニヲタ論〜


使命感を持つのはいけない。
手越祐也担当から降りるときの開放感を知った私はそう心に決めた。

私が手越祐也ファンとして背負った使命感 - 美しいものだけを見ていたい。


担当を好きだ。好きだ。と言ってるうちに、私このひとのどこが好きなんだろう?と疑問に思うことがないだろうか?その気持ちを私はこの人が好きなんだからと言いながらさらりと流してる人はいないだろうか?


そんな人に問う


『あなたはその人のどこが好きですか?』



あなたはこう答えないだろうか?


『私があの人を応援したいから。』


はたして「応援したい=好き」なのか?
私は違うと思う。応援したいのは、なぜか。好きだからだ。好きの後に応援したいが来る。応援したいの後に好きに来るのは義務感から来る虚構だ。担当を作るとそのうち、その人を応援しているのが日常で、その人のためにCDを買うのが当たり前になる。それが義務感。そして、担当が売れてほしいと願うようになる。それが使命感。


時として使命感は彼らを『嫌い』という気持ちに蓋をする。CDを買うこと・テレビを録画すること・コンサートに行くこと。それが全て一回ではないこと。それが当たり前なこと。あなたの苦になっていませんか?

好きが当たり前になる。それはとても奇妙な出来事だと思う。しかし、ファンという生き物もまた奇妙で、それをしてしまうのだ。私はそう気付いた時に『ファンなのだからCDを買う』という概念を捨てた。たしかに売れてほしいという願いはある。しかし、その願いを冷静に見ようと決めたのだ。


CDは好きな曲だから買う。
DVDも見てみたいから買う。
テレビも見たいから見る。
番組への感謝も述べたいから書き込む。
コンサートも行きたいから行く。


今のところKAT-TUNのCD、DVD、テレビ、コンサート全て買っている。しかし、全て義務感ではなく使命感でもなく私の欲望がそうしたいと言っている。だからする。

そんなヲタク生活に変えてから、私は何度も彼らに恋をするようになった。好きだという要素は増え、そこから応援したいという気持ちが増えた。今、私のヲタク生活はとても充実している。

#私のジャニヲタ論 その1

使命感を持たない